Festina Lente3

Festina Lente3(ゆっくりいそげ3)は現在進行形。(ゆっくりいそげ 続編)還暦を迎える年から再スタートした日記です。

この道

実生活は駄目な人でも

仕事絡みも含めて、職場の先輩から言われたこともあり、
明日で上映が打ち切りになる映画「この道」を急遽鑑賞。
まあ、水曜日でレディスデーでもあり。
むち打ちで下を向いて仕事や字が読みにくい分、TVや映画は
体が楽だなあと感じている今の自分。
昨年、一時見て観て見まくった映画期間を思うと、
週に1度程度の鑑賞は、本当にのんびりしていると感じてしまう。

「この道」いかにも思わせぶりな題名。
母校が北原白秋作詞、山田耕筰作曲の校歌だから、
この映画を見ること自体やぶさかではないのだが、
先輩は美人に設定されている与謝野晶子を高評価し過ぎているのでは。
とにかく、偉人伝や文学史に出てくる人々だって、有名人だが人間、
失敗も恥も多い、煩悩の塊で、隣人であれば実に厄介な存在ともいえる、
濃い人々、キャラクターが際立つ人々なのだから、
見ていて面白いものの、子供向きではなく、酸いも甘いも訳知りの、
清濁併せのむことも理解できるような年齢層でないと、
この映画の醍醐味はわからぬかと。


美しい詩を書く人の感性も、よく言えば、童心を忘れぬ純粋さ、
悪く言えば世間を知らぬ荒唐無稽、欲望の赴くままにの人だ。
美しい音楽を作る人も、良く言えば才能と信念の人だが、
悪く言えば世渡りのために芸術を武器にして軍服を着ることも厭わぬ人だ。
何れも生きていくために必要なことなのだが、…理解可能なのだが、
何だかなあ、これでいいのかなあと思う。

振り返り、俯瞰し、改装する時間的なスパンと思い出の量があれば、
何かしら人生は美しく実り多きものであったような錯覚が生じる。
また、実際にそういうものなのかもしれないが、割り切れない。
恵まれた人々の、恵まれた感傷に巻き込まれた、
時代の隙間を彼らを軸に垣間見た、そんな感覚で
深い感動とは異なるやるせない思いばかりが広がる映画だった。